・「便利な不自由」と「不便な自由」
JコミFANディングの話を見ていてふと気づいたのだけど、 今の我々の生活というのは「便利な不自由」と「不便な自由」という2つの視点がありそうな気がする。
どこかで誰かが管理していて、ユーザとして使う分には便利なんだけど、 その反面、データ自体も自分のものではなく、どこかの誰かの勝手な都合で 使えなくなってしまうこともある「便利な不自由」。
自分で管理していて、機能は低いし必要な機能は自分で作っていかなければいけないけど、 データやソースコードも全部自分のもので(著作権的に厳密に言うとGPLなソースコードや CCなファイルは「自分のもの」ではなく「みんなのもの」と言うべきだろうけど)、 自分の好きなように加工したり、別の形態に変形することも可能な「不便な自由」。
もちろん、現代社会に暮す限り、どこかの誰かが管理しているライフラインを使って 「便利な不自由」のもとで生きざるを得ないのだけど、 日常が「便利な不自由」に縛られている分よけいに、 自分の自由になる部分については「不便」でも「自由」を求める傾向が強いような気がする。