diary/Kojima

・ビビンバと寿司

産経新聞の黒田ソウル支局長が,「ビビンバは,出された時は美しいものの,食べる時は全体を混ぜくり合わせて正体不明になってしまうので, 出された姿の写真は羊頭狗肉に見える」という趣旨のコラム を書いて,韓国からはずいぶん顰蹙をかっているそうな.

一応,文化人類学なるものを学んできた人間としては,世界各地の食習慣はそれぞれの土地の風土や生活に根ざしたものであり, 他者が見てどんなに奇異に思おうとも「羊頭狗肉」のような価値判断的な評価をすべきではないと思ってはいるものの (米国のベーコン信仰あたりは「不健康」と言ってもいい気はするが :-),韓国の人から「寿司は未開な食物だ」 みたいな反論が出てくるのを見るとしばし考えることに...

日本料理の場合,客は「出されたものをそのままハシでつまんで食べる」ことが期待されていて, そのレベルにまで調理することが前提になっていて,「ビビンバ」のように, 「出されたものを客が自分で混ぜ合わせることで完成させる料理」という料理は, 日本料理の中には存在し無いのではなかろうか?

まぁ,カレーとかハヤシライスのように,ご飯とルーを混ぜ合わせながら食べる料理はあるものの, それらは日本固有の料理ではないし,マナーとしては,ビビンバのように全体を混ぜくり合わせるのではなく, 食べる部分だけを混ぜ合わせつつ食していくのが正しいように聞いた気がする.

冬場の鍋料理とかは客が炊いて完成させるわけだけど, あれは「美しく提供された具材を,いかに美しく鍋で炊きあげるか」という問題になるのだろうな.

日本料理の場合,ビビンバに似た形態の「ちらし寿司」にしろ「牛丼」にしろ, 混ぜくり合わせなくてもそのまま食べれるようになっているので, 個人的に思いつく「食べるために混ぜくり合わせる必要がある日本料理」って, 「卵かけご飯」「納豆」「お茶漬け」くらいかなぁ.

このヘンの料理は,日本料理的には「家庭の中でもB級料理」みたいな料理なので, 出されたものを「混ぜくり合わせる」必要があるような料理は,日本料理のなかでは 低レベルな料理,という印象があって「羊頭狗肉」という表現になったような気はするな.

ただ,日本料理のように「出されたものをそのままハシで」食べれるようにビビンバを調理しようとすると, 混ぜくり合わされて出てくるものは確かに「正体不明のもの」になってしまう気はするな.

そういう風に考えると,日本料理の特徴として「*そのまま* 食せるものを提供する」というのは, 結構重要な意味を持つものという気がする.

西洋料理では,肉の塊とかが大皿でサーブされて,給仕役が切り分けて提供することで完成する, という料理が結構ある気がするけど,日本料理で取り分けが必要なのは刺身の「舟盛り」といった 特殊な盛り付けくらいで,基本的に「給仕役」という仕事は不要な印象.

韓国の場合,「両班」という自分では一切の労働をしない階級があると聞いたけど, そういう連中だとビビンバを混ぜるのも他人にやらせて,自分はスプーンで食べるだけになるのかな?

このあたりを考えていくと「食事」という行為に対する文化的な差異といったものが見えてきそうな気がするな.



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Last-modified: 2021-12-17 (金) 16:35:42