diary/Kojima

・enlightment

ごく個人的なメモ。別に特定の宗教に走ったりするわけではないのでご心配なく(苦笑) 昔からさまざまな宗教や思想について興味をもっていた結果が、"hack" という概念で一つにまとめられそうだ、 という「ハッカー的な悟り」の一事例という感じ。

# あくまで「ハッカー的な悟り」なんで、"ha,ha, only serious" なレベル

キリスト教の異端として考えられてきた「グノーシス主義」は、正統的なキリスト教に対する hack である。 同様の hack が仏教にむかったのが禅宗であり、イスラムに向かったのがシーア派である。

従来、これらは「異端」や「神秘主義」という名でまとめられてきたけど、 正統的な価値体系に対する hack は常に存在してきて、それが現代、ソフトウェアの形で表われたのが、 jargon file 等で語られている hack や hack value である。

# AI koan(AI公案)なんて言葉があるように

いわゆる「ハッカー(hacker)」と呼ばれる人たちは、先天的にそういう hack の価値を知るように 定められた人たちで、彼らは現在ではソフトウェアの世界での表現を見出しているけど、 かって宗教社会の下では、彼らの思索はそれぞれの宗教の「異端」として考えられていた。

そういう hack の価値(いわゆる hack value)は、論理的に説明できるものではなく、 それを分かる人に分かる、「直指人心 見性成仏」として語られてきた。

人類には、少数ながら常にそういう人たちが存在し続けていたから、 全ての個体が同じ価値観に従う蟻や蜂のような社会性昆虫の持つ「完成した社会」を築き得なかったのであり、 そういう人たちの既存の価値観にとらわれない発想が、人類の「進化」の原動力になっているのではないか。

そう考えると、エデンの園を追いだされた「智恵の実」は、単純な「知識」や「理性」ではなく、 "hack" という独特の智のあり方だと解釈できそうだ。

ここしばらく、某所で非常勤講師をやっていることもあって、「情報社会」というメタな概念をあれこれ 考えてきた結果、hack という言葉の意味を歴史的に考えると、案外普遍的な概念ではないかということに気づいた次第。 ただ、そういう新しい可能性が、新しい可能性として認識されるには既存の「ゲーム」が突破から定着にいたる段階になることも 必要条件として存在していて、そうでない段階で生まれた "hack" は、社会の「異端」として葬られることになったのだろうな。



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Last-modified: 2021-12-17 (金) 16:35:42